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私の頭の中の消しゴム(2004/韓国)
オープニングクレジットは

チョン・ウソン
ソン・イェジン
監督 イ・ジェハン
製作 チャ・スンジェ / ノ・ジョンユン

程度。
エンドクレジットは読むのが大変だったのでちょっち厳しい。
例の曲の件は、オリジナルと公表されたアーティストの公式サイトを見てもらうのが言いとして、エンドロールには韓国人の名前だけが出たままだったような気がする(私の脳の処理速度に追いつかない)。
脚本家は複数いるように韓国側の資料は示しているが、エンドクレジットの途中で突如日本語字幕で原作ドラマについての情報が大量に出たので画面の情報を処理しきれなかったので、自信なし。
以下、スクリーンのメモに自信がないので、韓国の資料ベースでメモを反映はしましたけど自信なしバージョン。
公式サイトはすでにないwww.jeewoogae.co.kr。archive.orgで見てみたが、2004年冬までしか存在履歴が残ってない。

チョン・ウソン
ソン・イェジン
ペク・チョンハク
イ・ソンジン
パク・サンギュ
キム・ヒリョン

監督/脚本 イ・ジェハン
脚色 1〜2名
原案 (もちろん日本のドラマ)
製作 チャ・スンジェ / ノ・ジョンユン
撮影 イ・ジュンギ
音楽 キム・テウォン
美術 チェ・ギホ
衣装 キム・ソンイル

映画館は催涙状態だったなぁ。。。

ルーラ(Roo'Ra)「天上有愛」が「お祭り忍者」のパクリとわかり、メンバーのイ・サンミンが自殺未遂したのが1996年のこと。キム・ミンジョンの「帰天道哀」の一部がTUBEの「SUMMER DREAM」のパクリとわかって、キム・ミンジョンが一時引退したのも同じ年のこと。日本文化の開放が迫り、またネットによる情報交換が急速になる頃のこと(作曲家の関与と本人の関与は異なるので歌手の名前だけが前に出るのは必ずしもいいことではないが、そこは了承いただきたい)。いずれも、韓国内で非難の声はずいぶん大きかったのだけれども、今回の件は韓国での報道が大きくなっている様子はまだ私には見受けられないのですがこれでいいのかどうなのか(日本国内については、日本側のアーティストの見解を尊重してあげてほしいものですが)。
話題にさえなれば、国内でも「ちゃんと」批判される韓国ですが、なくなりはしないようで(まぁ、日本国内同士でもないことはないですが、まともな統計があるかどうかは知らないけれど、韓国のそれの方が多いと感じる人が多くいること自体には何の違和感もなく)。

まぁ、でも、よく調べもせずコピペする人がいるようで。
映画『中毒』、日本映画『秘密』を真似た?
両方の映画を本当に見ていて、この二作を著作権侵害もしくは道義的に問題ある関係であると考える人がいるのならば、映画を語ってほしくないですねぇ。
過去に韓国映画「手紙」も岩井の「Love Letter」との比較がなされたり、「(ハル)」と「接続」の比較もなされたりしているけれど、悪い話題にしているのは大概「見ていない」声で、見ても問題視する人というのは、直接の知り合いではまだお目にかかったことがないのですが。
批判すべきものを批判するのに、要らないものが混じっていると印象において信憑性が下がるのだから、余計なことはよした方がいいと思う今日この頃。

在日のプロデューサとして活躍する李鳳宇氏が、法律的・道義的に問題のないものを中心としたアイディアの流用全体を指して、あえて「パクリ」と呼び、これを全面肯定したことがあったけれど、なるほど共感する部分もあります。

それにしても、「他人のアイディアを加工して再生産する」ことを日本人はかつて誇りにしていたような気もします。日本でもかつては今では問題にされるようなことにも認識は甘かったわけですが(いや、今を基準にすれば、1950年代のアメリカだってどんなもんだったやら)、時代もずいぶん変わりました。日本の「加工して再生産する」ことへの誇りはだんだん失われ、「クリエイティビティ」が尊ばれる時代がやってきました。そうなっても、過去の再生産で生んできたものの素晴らしさを外国人ばかりが評価するようなことや、もしくは再生産であることに目を向けないで評価するようなことはしたくないものです。クリエイティビティを尊ぶにしたって、そこに至るための過程の考え方のひとつとして、「守破離」というのは素晴らしい言葉です。
韓国の文化も、「他人のアイディアを加工して再生産する」ということをある意味誇りにしているわけですが、日本のそれとは類似点と相違点があるような気がして、ここを掘り下げるといろいろなものが出て来そうなものです。