かわぐちかいじと冲方丁の対談から、韓国映画・ドラマへの言及

かわぐちかいじ
韓国ドラマを見ると、「人間」がコインですよ。ドラマの中に、社会の中に生きている実感を持った人間たちが躍動している。日本のドラマは、軽いんだよね。でもね、終戦前後の日本映画を観ると、その頃の登場人物はみんなその実感を持っているんだよ。(略)ただ、韓国のドラマが日本のものと違うもう一つの点は、運命に翻弄される人々が描かれやすいことなんです。でも、人間ってたとえ善人であっても他者を翻弄してしまうことだって普通にありうるわけじゃないですか。
冲方丁
僕も韓国の戦争映画は何本か観ているんですが、すべて翻弄された側の視点から描かれていますよね。正直、泣かされるんですけど、物足りないと感じる事も少なくない。
かわぐち
確かに、翻弄されてしまう人物のリアルさたるや、日本人は圧倒されますよ。でも、「自分は翻弄された側である」という視点のみでは、当然描けない部分が出てくる。韓国のドラマが世界に発信しうる普遍性に辿り着くためには、「人は善人でも他者を翻弄してしまうことがある」というもう一つの視点を獲得していかなければならないと思う。
冲方丁
韓国がそれを獲得する前に、こちらがもっといい作品を作りたいですね。

『にすいです。 冲方丁対談集』p19-p20より。2005.2.17対談。初出は『Quick Japan vol.59』とのこと。
傾向として捉える限りにおいて「言いたいことは分からないでもない」けれど、ホ・ジノイ・チャンドンポン・ジュノホン・サンスパク・チャヌクとかってこの時点でそういう普遍性に辿り着いてなかったのか色々気にはなる。これは「こういう人たちが観るような作品はそうであった」という条件付きで読むべきかどうかはてさて。
引用元対談集全体としてはまぁ面白く読みましたので悪い本じゃないです。対談相手の世界観、作品観ってどうなのよって思う所がないことはないけれどそれはそれとして。