脚本のクレジット

というわけで、ぼうこくのイージスでは、脚本のクレジットは二人なわけだけれども、どうも、パンフによると、長谷川康夫による脚本作業が2002年秋に始まり、坂本監督が決まってから、長谷川・坂本・小滝(企画、実質のプロデュースの一人?)の改稿が続いたとのこと(といいながら福井(原作)も阿久津エピソードを切る決断など脚本に影響を与えているとか)。
昔何かで読んだところによると、ハリウッド映画では、脚本が最初に出来てから、映画会社に持ち込まれると、別の脚本家が手を入れて検討され、結局違う会社に移ってまた改稿され、というようなことはよくあると言う。ある人が改稿した分がボツになって、元のを別の人が手を入れてなど、複雑な経緯で完成稿になることもある。けれど、日本ではそこまで何度も手が入るのはあまり聞かない。
で、話が変わるのだけれども、そういう途中の改稿の人が、映画のクレジットに全部出ることってあまりないのだけれども、最近の韓国映画は、エンドロールのみのクレジットの人も入れると、「脚本・脚色・潤色」etc、脚本関係に5人も6人も出てくることがある(監督やプロデューサの名前がそこに加わることももちろん多い)。『大韓民国憲法第1条』に至っては、オープニングクレジットで脚色が9人も出てびびった。
ある人曰く、韓国映画では、ボツになった稿に参加する人の名前が出ることもあるのだとか。9人で同時に議論して脚本作ったらどーなるんだろうなぁと思ったり。
TVドラマERなんかだと、メインキャスト毎に脚本担当が居てそれぞれのキャラクターごとのエピソードに責任を持ったその上で、1話分の脚本をまとめる人が居るとかで、調整のディスカッションとかあるようなことを読んだ気がするが、本は大事だよ〜と思いまする。