『〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性』小熊 英二

日本の戦後を語るのには本書以前と以後があるだろうという位に重要な本。
日本の知識人が、そして一般市民が、戦争を、戦後を、民主主義を、ナショナリズムを、愛国心を、公共性をどう発信し、どう捉えてきたか、それを緻密に分析して物語のように解き明かしていく。戦後の大物知識人の発表したものをばっさばっさと分析していくのは見事ではある一方でまぁ鵜呑みにするのもどうかと思う所もあるが、戦争と戦後の位置づけについて、いかに知識人が、一般市民が勝手なイメージで議論してきたかを見事に示している。
佐藤忠男の言説や黒澤映画、知識人の映画評論などからの引用もあり、またこれも面白い。
勝手に自分以外の世代にレッテルをはって自分たちを被害者的にいうようなのは、結局本書の後の現在をみても同じようなものかとも思ったり。
あとがきに著者は、なぜこんな研究をするのかと聞かれても、わかりやすく明快な答えなどない、そんなものがある方がおかしい。知識人の言説を分析して、本人談がいかに当てにならないかがよくわかった、という趣旨のことを言う。そういえば、先日ソチョンさんが「よく韓国の記者になんで韓国語なんかやってるんだと聞かれて、まぁ理由がないわけではないんだけど「그냥」と答えることにした」と言ったのと自分の中ではつながる。まぁ、外国語学習なんてものはみんな「그냥」と言える時代であってほしいと思う。ソチョンさん自身はそれに「なんとなく」という訳語を当てていて、それはそれで訳語としては間違ってないし本人がそう言うのだからそういう意味なんだろうが、「この道を「그냥」」とか、ウィンドウショッピングしていて店員に話しかけられた時に「그냥」と答えたりするニュアンスを含む単語としての「그냥」の方が「なんとなく」という日本語よりも私にはぴったりと来る。